冴えないボクの生(性)活

2ちゃんねる大学生活板出身の冴えない男の駄文。

劣化するオッサン社会の処方箋/山口周

3月入ってから、たまっていた読みたい本リストが徐々に完了していっている。表題の著書も、インターネッツで見掛けたのか本屋で気になったのか定かでないが、ワーク氏の読みたい本リストに入っていたので、昨日一日で読了できた。。

 

全体としては真新しく感じる部分はそんなに無く、人生=仕事という価値観の元に執筆されたジャンルの本という印象だった。

 

書店へいけば、山奥ニートやBライフニート、隠居ニートなど様々な生き方が提示された本が並ぶ中、典型的な会社人生の枠組みの中でバブル時代の感覚、すなわち良い大学に入り良い会社に入社してそこで頑張っていけば自動的に給料も上がり幸せになれるんだ、という感覚を捨てきれないオッサンについて書かれた本だ。

 

たしかに、と思った点として、バブル感覚が抜けない無能オッサン(ここでいう無能は時代の変化に順応できないという意味で。頭が悪いとかいう意味ではない)が牛耳るオッサン社会の対処のため、20~30代の若手世代が間違ったことは「それはちょっと違ってるんじゃないですか?」とはっきり意見したり、あるいは言えないなら会社を辞めるということを積極的にすべきと書かれてた点が挙げられる。

 

気になったのは、大企業の窓際オッサンがまるで社会的な死のように書かれていたが、別に会社人生で死んでも、例えばアイドルヲタクやメイドカフェヲタクとして、大企業窓際オッサンというポジションの資金力ならかなり上位に食い込めるだろうし、仕事がないなら有給を取得して平日の17時半から開始のイベントに参加することもできるのだから、金も余らせてるし機動力あるヲタクとして可愛いナオンでも応援して輝いていけばええじゃないかなどという風にナオンを応援したいがお金もないし平日のイベントに参加しづらいボクはおもってしまった。別に輝くステージはナオンの応援でなく、蕎麦打ちとかでもいいケド。。。それで、ザ・ノンフィクションに出演したキヨちゃんさんのようにテレビ出演してスターになればええやないか。

 

・・・本題として既得権益者が甘い汁を吸えるオッサン社会というのは、革命なり戦争なり、社会が変わるタイミングでないとリセットされないという仕組みになっていると本書では分析されていた。2020年の東京オリンピックで大失敗した上に景気がメチャクチャになるとか、転機がないと変わらないのだろうなぁ。

 

他に、会社=社会、人生=仕事の等式が成り立たなくなるようにならないと、先に進まない感じがする。ボクは会社勤めの人間を社会人と言うのを意識的に使っていない。小学生も、ニートも、爺さん婆さんも、社会の成員だからだ。受験勉強で、「社会」とは人間が2人以上存在する空間だと、政治経済の参考書には書いてあった。とにかく社会人と言うワードは明らかに違和感を感じる。。

 

コトバはチカラなので、かつて大生民が「リア充」という言葉を生み出したように、会社で働く人間は「労働者」と呼び、社会人という意味不明な用語を抹殺する活動を精力的に行っていきたい。しかしワーク氏の精力は今のところオナクラっ子によって抜き取られているので、精力的にはできないかもしれない。でも継続的に、社会人というワードは抹殺していきたいんだよ、本当に。