冴えないボクの生(性)活

2ちゃんねる大学生活板出身の冴えない男の駄文。

10〜15年前に考えていた人間年収200万円あれば充分論について振り返る

年収200万あれば充分論

 これはボクが高校生〜大学生時代に考えていたことであり、未来を見通す力のあった未来ワークは、当時から、自分の将来はろくなものにならず、悲惨な人生を送らざるをえないだろう、ということを予期していた。年収で言えば、200万円いけばいい方であろうと予測していた。であるならば、そのレベルに合わせた生活の中で、楽しむことができればいいじゃないかということを、ずっと考えており、お金を使わずとも、街をふらついたり、インターネッツで書き込みをして名無しに相手をしてもらったり、ナオンとスカイプ通話でもしていれば、いい。暇だったら、図書館で本を借りて、勉強でもしてればよいだろう。たとえば、洋書をひたすら翻訳というか、英文和訳でもしていれば充分楽しいし、それで死ぬまで時間が潰せるだろうなぞと考えていた。

 

大学4年時代に年収200万生活を仮体験する

 そこでこのボクは、大学4年になったとき、あらゆるバイトをやめ、代わりに、大学から借りれる無利子の奨学金72万円と、日本学生支援機構から借りれる第二種奨学金を月12万、つまり144万円分借りて、年収200万円生活を実践することにした。といっても、いま振り返れば、サラリーマンになれば、所得税、住民税、社会保険料等が引かれるため、手取り金額で18というのは、実質は年収280万生活だった(インターネッツでみたらそれくらいだった)。はっきりいって、この1年間は、人生で最も天国と言わざるを得なかった。働いていないのに地下アイドルのライブをみにいったり(ちょうど初期のももいろクローバーにハマっていた。ライブみて握手は1回だけか、しないで帰っていた。他にも、石丸電気という電気屋さんの7Fと8Fのイベントスペースで、地下アイドルのライブをドリンク代もなく本当に無料でよく見ていた。みていたのは、スターマリー、小音桃まい、ドキドキドリームキャンパスといったアイドルだった)。また、定期券内の町田や相模大野や新百合ヶ丘をフラフラし、コーヒーショップで洋書を読んで無意味に翻訳をしていたり、統計学の勉強をしたり、ラーメンを食べるなどしていた。たまに小田急大和駅前か相模大野駅前のピンサロでピンサロ嬢にフェラをしてもらった。夜は、お酒を飲みながら、自宅で2ちゃんねるに書き込みをし、皆んなにかまってもらい、時には夜通し女コテハンと通話し、スカイプセックスに興じたり、一緒に映画をみにいったりした。この生活が一生続けばいいとおもった。人生でもっとも幸福な一年間だった。

 

しかし働いてからは、、、

 このペースでいけば、年収200万もあれば人生は充分すごしていけると高を括っていたが、そうは問屋が卸さなかった。そもそも、上記は、まず、税金を引かれていないので実質年収280円だったわけでその時点で、年収200万円では成り立っていなかったし、実家で子供部屋おじさんをしている上で成り立っていた。それに通学定期券内で行動をしていたから、家賃光熱費インターネッツ代交通費等を鑑みると、実質、年収360万円分くらいの生活をしていた。それに、労働をすると、ストレスにより、アイドルのライブだけみて、握手会1回で終了するというのは耐えられなくなってきた。風俗も沢山いくようになった。リフレもいくようになった。コンカフェもいくようになった。パパ活もするようになった、アイドルも、特典会で1回だけ握手するのでなく(当時はチェキが浸透していなかったので握手だった)、1日で、5〜6回とチェキを撮らねば満足ができないようになった。脳が完全にぶっこわれ、ほどほどでセーブすることは不可能になった。クレカリボをフル活用していた時期もはっきりいってあった。それにオッサンになるにつれて、ナオンがただで相手してくれなくなった。通話もしてくれなくなったし、会ってもくれなくなった。年をとるにつれ、どんどん顔がブサメンになり、デブになり、完全なデブキモヲタになってしまった。若さというのは、どうやらものすごく価値のあることだったということに、失って気づいたのであった。

 

まとめ、、、

 大学生の頃に考えていた、人間年収200万円あれば充分論は、働いておらず、200万円の不労所得があれば、充分かもしれないが、働いていたら、ストレスを発散するために、それ以上の支出が不可避であり、生活は破綻してしまうため、成立しないということがわかった。もしかしたら、仙人のようにストイックな人物であればそれは可能かもしれないが、ボクにはそれは無理だった。ホームレスになるか生活保護を受給したい。死。