冴えないボクの生(性)活

2ちゃんねる大学生活板出身の冴えない男の駄文。

コミュ障とはどういうことなのか

 「コミュ障」つまりコミュニケーション障害と言うこのワードは、地下アイドルがMCなどでも発する程度に広く使われているため、どういうことなのかもはやよく分からないが、大別すると2つのタイプに分かれる。

 

①自分から話せない、言葉が思い浮かばないタイプ

 こちらがコミュ障といって浮かぶ一般的なタイプだろう。学校の休憩時間にクラスメイトの雑談の輪に入ることができずポツンと机に突っ伏し寝たフリをしてやり過ごしたり、大人数の飲み会で一言も喋らず黙々と酒を飲みながらご飯を食べているといった具合だ。なんでこうなってしまうかというとまず学校や職場といった家庭以外のコミュニティに出る前の家庭の段階で、家族団欒が存在しない毒親家庭に育ってしまったことや、自閉症スペクトラムなどの発達障害を患っている、また、頭が悪すぎて会話の流れがそもそも理解できない、といったことがある気がする。こちらは、本人は苦しく感じているが、周りに迷惑をかけているわけでもないため、印象に残らないというだけで終了することが多いように思える。このタイプは自分がコミュ障であることを自覚している。

 

②余計なことを話してしまう、空気を読まず話し続けてしまうタイプ

 積極奇異型の自閉症スペクトラムADHD者(ボクはADHDをフェイク発達障害だとおもっていますがね)にありがちなことで、自分の思い浮かんだことばをひたすらベラベラ喋ってしまったり、例えば、コンカフェで、他の人がキャストさんにキャストドリンクをプレゼントしてお喋りしているのに、空気を読まずに割って入り、話しかけてしまうようなタイプのコミュ障。周りに対しての迷惑度はこちらのほうが高い。このタイプは自分がコミュ障であることを自覚していない。

 

③(おまけ)ただのフェイク野郎

 ①でも②でもないのに、ただちょっと話すのに緊張するようなときにだけ便利な感じで「私コミュ障なんで、、」なぞと、むしろコミュニケーションを円滑にする道具として活用しているタイプ。冒頭に書いた地下アイドルは大概これだろう。フェイク野郎。フェイカー。

 

どちらが厄介なのか

 よく、トゥイッターでみかけるのは、①のタイプよりも②のほうが厄介だ、というトゥイートで、大概は非当事者目線で語られている。たしかに、自分が被害を被るかどうかで考えれば、②のほうが重度といえるだろう。おまけに自覚していない分、余計に厄介だろう。しかしながら、障害というのを、「本人が困っているかどうか」で考えたとき、②は、自覚をしていないため、本人は困っていると感じておらず、当事者目線では障害にぶつかっていない。一方で、①は、周りへの迷惑度は少ないが、本人が大変に生きづらく感じており、障害に感じている。どちらのコミュ障害が厄介かというのは、誰からみた目線の話なのかということに終始するという、何もいってないのと同じ結論を導きだすためにこの文章を書きつづけてしまうのも後味が悪いので、フェイク野郎が一番厄介だということにしておくのが全てを棚上げして丸く収める人類の知恵というもの。