例えば大学生の時は、ドトールで席を取ってから注文するか、注文してから席につくかといった、ほんの些細なことに思いを巡らせていた。そのことで、インターネットとお友達と喧嘩をしてしまったこともある。
もちろんいまでも、ドトールでは席を取ってから注文しているし、むしろ、ルノワールなど、着席してから店員さんが注文を取りに来るタイプのカフェに行くことも出てきた。
ただそれは大学生のときから継続している習慣だからということであって、新しいことに対して、細かく考えるということはなくなってしまった気がする。
習慣といえば、赤ん坊、幼稚園や小学校のころから親や周りとの関係によってしつけられてきたことが習慣化し、今日にまで至り「私」という人物が出来上がってきたわけだが、労働者になってからは別段、周囲の環境に影響され、思いを巡らすということが無くなってきた気がするし、何か言われても、「うるせえな」しか思わなくなってしまった。
高校生の頃は、受験参考書を読み、その通り素直に、本に書かれていることを吸収していたが、ビジネスマン向けの自己啓発本を読んで同じようにすることはできなくなった。
まさに散文を書き散らしてしまった。