冴えないボクの生(性)活

2ちゃんねる大学生活板出身の冴えない男の駄文。

洗練されていない状態が好きだ

 何事も、洗練されていない状態、資本主義に適合していないながらも生きながらえているコンテンツというのが好きだ。

 例えばボクは小中学校時代に大食い選手権が好きだったのだけれども、いまとはだいぶ状況が違う。それはどういうことかというと、いまは一つの競技のように扱われている感じがあって、選手はみんなアスリートのオーラを身に纏っているが、一方で、特に小学校時代に視聴していた、1990年代のTVチャンピオン大食い選手権では、アスリートどころか、ただの太った、よく食べるおじさんぐらいの人も本選に出場していて(マネーの虎に登場した、川原社長のラーメンを美味しいと思わない発言の村野氏もそのタイプである)、はっきりいって、レベルは低かったように記憶している。でもボクは、そんな、ただの太ったおじさんたちが、1~2回戦ギリギリのところで勝てるか勝てないかで争っているぐらいの戦いがすごく好きだった。いまはもうレベルが上がりすぎてただの太ったおじさんが本選に出場することはない。

 他には、町の中華料理屋。昨今の、都心でみかける、いかにもコンサルタントが入りました的な店は、たしかに点数でいえば70~80点をつけられるクオリティにまで達していて、どちらかといえば、満足できる方なのだけれども、なんか違うのである。結局のところ、あまり、資本主義に対して最適化されていないような、町の中華料理屋で、お客さんが一人もいない、もしくは一人か二人しかいない中で、4人がけのテーブル席に一人で、まるで玉座のように居座り、ダラダラと、お酒を飲みながら小料理を2~3品つまみ、最後に、ラーメンを食べると、人生が最高に整っていくのを感じる。

 なんで未来ワークはこういう嗜好なのか、自分でもよくわからないが、時の流れの中に存在する「澱み」の中にいることが好きなのかもしれない。

 魚の川釣りでいうと(もう20年もやっていない気がするし、早くコンカへを引退して、川でヘラブナ釣りなぞを行い結局1匹も釣れずにぼうっと過ごしたいというのは常々おもっている)、川の流れが停滞している淀みなぞとゆわれる場所に魚が多くいるというのを聞いた記憶がある。それと同様に、これはもう令和の加速するコスパ至上主義、タイパ至上主義には疲労困憊してしまい、とにかく時代の流れに逆らって、ダラダラしたいのかもしれない。とにかくボクは、引っ越しをしたアパートから少し歩いたところにある、個人経営の中華料理店に早いところを初訪問をして、ここが気に入れば根城とすべきだという気もしている(少し前に終了したホテル生活に移ってから、オキニ中華料理屋も純喫茶も失ってしまった)。結局のところ、はやく死にたい。

 この気持ちわかる人いる?