冴えないボクの生(性)活

2ちゃんねる大学生活板出身の冴えない男の駄文。

社内ニートはいたら助かる

個人的には社内ニートというのは会社に一人ぐらいはいてくれたら助かると思ってるんだが中々、居させてくれるというのは難しそうでどうしたものか。学生自体から遡って社内ニートということについて考える。

学生時代の労働観

 中学生か高校時代から、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)で、会社いきたくない系のスレッドをよく眺め、うだつの上がらない労働者の悲鳴をよく閲覧していたので、こう、社会的に大仕事を成し遂げたいとか、偉くなりたいという気持ちは無かった。

 

 焦点は常に、この、あらゆる面で定型発達者と比較し劣っているボクが、ギリギリ死なず、ホームレスにはならず、つまり最低限の住居は確保され、食べ物にも困らず、服もあまりシワシワのものばかり着る事も無く、ただ、アイドルのコンサートにたまにいったり、本屋さんで好きな本を買って読んだり、電車を乗り継いで行きたいラーメン屋に通うことが出来るぐらいには文化的な生活が出来るためにはどうすれば良いかと言うことであった。

 

 以下は前からたまに匿名時掲示板やブログで書くなどしていた台詞だ。

 

ネオニートかヒモになりたい。どちらもなれなければ、社内ニートになりたい」

 

現在の状況

 結局ボクは、そのどれにもなることは出来なかった。

 

 ネオニートというのは、読書くんのように株で大儲けしたり、不動産収入により、不労所得で生きていける勝ち組のことであるが、今のところそうなれる可能性は少ない(不動産収入は運が良ければ将来的に得られるかもしれないが今のところは分からない)。

 

 ヒモは、金持ちのナオンに飼われる生活のことを指すらしいのだが、実態がどんなものか理解していない。ただ、会社の上司や同僚、パートさん、あるいはネットの知人、高校時代の同級生や後輩にこの話をすると、決まって、「ワークには無理だ」とゆわれる。どうやら、ヒモになれる男というのは、ビジュアル面の優れたイケメンでなければ無理らしいのだ。

 

 そして、社内ニート。これもなることが叶わなかった。

 

社内ニートの過去と今と未来

 社内ニートというのは、会社に所属しているのにも関わらず、失業状態の人間のことを言い、放置されているため、一日中5ちゃんをしたりヤフーニュースをみて過ごすような、昔の言葉で言えば「窓際族」という奴だろう。ものの見方によっては、働かずに給料をもらえるオジサンということは、仕事人としてはダメダメのダメでも、趣味に生きる人生モデルとして考えれば、いい感じの人生という見方も出来る。

 

 だが、この窓際族、企業がお金に余裕のあったバブル時代だからこそ成立したようなもので、今そういう輩がいたら、真っ先にリストラ対象とされてしまう。誰もが知っているような大手企業であれば、まだ残党が残っているらしいが、早期退職制度の導入など、明らかに、駆逐されるように仕向けられている。今の、ギリギリの人員で会社を回さざるを得ないような状況に追い込まれた日本の経済状況では、もはや、社内ニートの居場所はどんどん奪われていってしまうだろう。

 

 さて、肝心なこの未来ワークはと言えば、社内ニートどころか、少なくとも形式上はバックオフィス関連の部署の、管理職に位置付けられており、日々、膨大な業務を遂行していく必要のある生活が継続しており、社内ニートからはかけ離れた存在になってしまった。結局、ネオニートにも、ヒモにも、社内ニートにもならず、企業の管理職になっていた。

 

 こう、時間を持て余しているぐらいの感じの社内ニート的な人がいた方が、個人的にはゆとりがあったり、緊急時に頼りになるなどして、有難いんだが、経営者サイドの視点からいえば、そうは問屋が卸さず、常に、全人員がフル稼働していることが求められる傾向が増々強まっていきそうだ。

 

 社内ニートの夢は諦めてやはり金持ちの娘と結婚しネオニートになることを目指すしかない。