冴えないボクの生(性)活

2ちゃんねる大学生活板出身の冴えない男の駄文。

スーパーの女~消費者優位社会を経て、幸楽苑の正月休み宣言へ

メンクリの先生から、ASDの傾向は確実にあると言われているものの診断を受けている訳ではないオタクだから、実家に帰ると大体同じことしかしない。

 

電車に乗ってラーメンの鬼の店でらぁ麺を食べたり、電車に乗って巨大温浴施設にいったりドトールで本を読むだけである。

 

他には自宅で人生の教科書である福満しげゆき氏の「僕の小規模な失敗」を読んだり、ボクの棚にある伊丹十三映画DVDコレクションの中から1作チョイスして視聴などしている。

 

で、今回もスーパーの女を観た。大体はスーパーの女マルサの女タンポポを観ている。

 

内容はゴロちゃんが経営しているダメスーパー「正直屋」を小学校時代の同級生である花子がお客様目線を取り入れて立て直していくという話だ。

 

なぜかボクは小学校の頃からこの映画を気に入っており何度も何度も繰り返し視聴しているのだ。

 

しかし観ている時の年齢によって、段々と感じ方が変わっていくのがおもしろいところで、前回は、スーパーを牛耳る精肉部と鮮魚部の怖い職人に口出しできないゴロちゃんの葛藤に偉く共感したものだった。

 

今回はまた別の見え方があって、それはどういうことかというと、花子による「お客様目線」に色々と考えさせられた。

 

当作品が上映されたのは1996年と今から22年前だ。この時の状況は定かでないのだが、消費者がクレーマーモンスター化する以前の時代だったのではなかろうか。

 

ネットで軽く調べると、1999年に東芝クレーマー事件というのがあったらしく、これは、生産者側が、消費者に対し恫喝まがいの対応を行ったと出てきた。

 

おそらく当時の時代背景としては、生産者=サービスの提供側がまだ、消費者よりも優位に立っており、例えばオーストラリア産の輸入肉を国産と偽って販売したり、クレームを受けたらむしろ「うるせえよ!じゃあウチから買わなくて結構だよ!!!」と突き返したり、適正でない値付けをしてボッタくったり、そんな雰囲気だったのではないだろうか。少なくともスーパーの女の映画内からは読み取れた。

 

消費者を守っていくような、消費者保護基本法に関しては1968年より公布されていたようだが。実際はよく分からない。

 

それが段々と、時代も21世紀を迎えるに連れ、企業側がお客様目線をより強化したことにより、お正月の1月1日でもチェーンの小売店、飲食店は営業が当たり前になったり、あるいは運送業者に関しても、Amazonで当日注文すると当日に配送されるといった、正直労働者側があまりに過酷になるような過剰サービスが常態化してきた。

 

しかし企業側の負担はもう限界に達したらしい。2018年から流れが変わってきたように感じる。その流れはまず物流から始まったと言えるかもしれない。

 

去年から、運送会社については、もう人手が足りないということで、企業と契約する配送料が値上がりしたり、リードタイム(配送から到着までの時間)が遅くなったりということが頻繁に発生した。

 

さらに、飲食店でも同様なことが起こる。

 

お正月。運送会社につづき、外食チェーンにも動きがあた。幸楽苑がお正月お休み宣言をおこない。1月1日は2億円の損失と引きかえに、営業をしないと宣言をしたのだ。

 

これを筆頭に、来年からはより多くの飲食店、小売店がお正月はお休みするだろう。というかそうなってくれ。

 

ようやく企業側も気づいて来たようだよ。仕事が人間よりも偉いのではなくて、まず人間があって、その次に仕事だろうという、当たり前のことに。

 

今後、もっと当たり前の、つまり人間を尊重した社会になってくれることを祈る。スーパーの女の正直屋は、たしかにお客様に信頼されるスーパーを目指したが、それでも、1月1日はお休みで、営業は1月2日からだったし。